ドラッグシティ ポートランド
日曜日の今日、Zのサッカーの試合が教会の直後にあった。
その後、Kの陸上のクラブの練習が、ダウンタウンであったので、そのまま、家族全員で出かけた。
クラブの子供たちは、年齢がまちまちなので、年齢と走る早さに従って、3つのグループに分かれて走った。25人くらいの子供に対して、親たちも10人くらい一緒に走った。
夫も中に混じって、走っていった。
Zは試合の直後だったので、歩くことにした。
私は、何人かの仲の良いお母さん達と早歩き。
ポートランドのダウンタウンは、ウラメット河にそってある。
そして、川沿いに遊歩道があり、走る人、自転車に乗っている人、ローラーブレードをしている人、と様々な人が行き来をしている。
その遊歩道沿いの、駐車場の一部が、今日は何かのお祭りかフェスティバルのために使われていた。歩いていた私達からは中が良く見えなかった。
テントがたくさんあり、出店がたくさん出ていた。
ちょうどその横を通った時、私たちはひどい異臭に、顔をあわせてしまった。
一体何の臭いなんだろう?と、、、、。
20分歩いて、折り返し地点にたどり着き、帰りにこのテントを除いてみた。
なんと、このお祭りのようなものは、マリファナを医療用だけでなく、商業用にも使えるようにと州に訴えるための集まりであったのだ。
だから、この中でマリファナを吸っている人もいた。
長いパイプで、何か薬物を吸っている人がたくさんいたのだ。
不思議な事に、ほとんどの人が、タイダイ(ろうけつ染めのようなものがほどこされたTシャツ)のTシャツを着ていた。一体なぜなのだろうか?
ポートランドは、本当にリベラルな都市である。
マリファナは、医療用に認められている。
先日は、癌にかかった女性で医療保険がない方が、州に相談した所、「死ぬお手伝いならできますよ」と言われたのだそう。治療のための費用は出せないけれども、死にたかったらお手伝いしますと言う事なのだろうか?すごく悲しい事だと思う。とはいっても、何もできないのが現実であるが、、、。
ドラッグシティ、ポートランドと呼びたくなってしまった私である。
それでも、郊外は住みやすいんですけどね、、、、。
その後、Kの陸上のクラブの練習が、ダウンタウンであったので、そのまま、家族全員で出かけた。
クラブの子供たちは、年齢がまちまちなので、年齢と走る早さに従って、3つのグループに分かれて走った。25人くらいの子供に対して、親たちも10人くらい一緒に走った。
夫も中に混じって、走っていった。
Zは試合の直後だったので、歩くことにした。
私は、何人かの仲の良いお母さん達と早歩き。
ポートランドのダウンタウンは、ウラメット河にそってある。
そして、川沿いに遊歩道があり、走る人、自転車に乗っている人、ローラーブレードをしている人、と様々な人が行き来をしている。
その遊歩道沿いの、駐車場の一部が、今日は何かのお祭りかフェスティバルのために使われていた。歩いていた私達からは中が良く見えなかった。
テントがたくさんあり、出店がたくさん出ていた。
ちょうどその横を通った時、私たちはひどい異臭に、顔をあわせてしまった。
一体何の臭いなんだろう?と、、、、。
20分歩いて、折り返し地点にたどり着き、帰りにこのテントを除いてみた。
なんと、このお祭りのようなものは、マリファナを医療用だけでなく、商業用にも使えるようにと州に訴えるための集まりであったのだ。
だから、この中でマリファナを吸っている人もいた。
長いパイプで、何か薬物を吸っている人がたくさんいたのだ。
不思議な事に、ほとんどの人が、タイダイ(ろうけつ染めのようなものがほどこされたTシャツ)のTシャツを着ていた。一体なぜなのだろうか?
ポートランドは、本当にリベラルな都市である。
マリファナは、医療用に認められている。
先日は、癌にかかった女性で医療保険がない方が、州に相談した所、「死ぬお手伝いならできますよ」と言われたのだそう。治療のための費用は出せないけれども、死にたかったらお手伝いしますと言う事なのだろうか?すごく悲しい事だと思う。とはいっても、何もできないのが現実であるが、、、。
ドラッグシティ、ポートランドと呼びたくなってしまった私である。
それでも、郊外は住みやすいんですけどね、、、、。
アメリカナイズされてしまった自分を自覚した時
昨日、日曜日の午後に、日本人教会で、子育てセミナーを開いた。
これまでも、この教会には何度か呼んでいただいて、子育てに付いて、またホームスクーリングについてお話して来た。
今回は、子育てについてでも、一般的なことよりも、アメリカで日本人が子育てをしていく上で気をつけなければいけないことをお話した。それから、私の心の中にいつもある葛藤について。
日本的な子育てでは、躾けは学校へ上がった時に、学校の先生から教えてもらうという事が多いような気がする。例えば、料理、お裁縫などはお母さんから教わるのではなくて、家庭科の時間に習う。お掃除の仕方も、学校のお掃除当番の時に、学んでいく。というな感じである。
5歳くらいまで、全くしつけをされなくても、学校へ上がれば、ある程度、きちんとした子供が出来上がる。
アメリカの学校教育は、そういったことを学校で教えてくれない。だから、小さい時の家庭でのしつけができない子は、いつまでたっても躾けのない子として育ってしまう。社会の迷惑となってしまうのである。だから、アメリカに住んでいる限り、家庭でのしつけを徹底的にしていかないと、恐ろしい子供が育ってしまう。
もう一つ、私の心にある葛藤について。
子育てをしていて、私の心にいつもある葛藤は、日本人としての私と、子供を良い人間に育てたいと思い、霊的な面を重視している私なのである。この二つがいつも、私の心の中で戦っているような気がする。
先日、下の子Zは、友人のスペンサーとしっくり行かない事があった。
5人の子で、空気銃で遊んでいたのだが、Zが勝ちすぎてしまい、スペンサーがやきもちを焼いて、残りの3人をそそのかして、4人でZに向かってきたのであった。そこで口論をするのではなく、Zはその場を去って、家へ帰ってくるという行動を取った。帰ってきてから、スペンサーに裏切られた事が悲しくて、激しく泣いていた。
しばらくしてから、スペンサーのお母さんがスペンサーを連れて、我が家へやってきた。
Zに会って、話をしたいということだった。
この時に、いつもの葛藤が起きたのだった。
日本人的な私の部分は、波風を立てずに、私あるいはうちの子が我慢して、すべてを平穏に解決しようと思っていた。
子供の成長を考えての私は、Zのとった行動を評価し、スペンサーのお母さんに真実を告げるというものであった。
この二つが心の中で戦っていたのである。
スペンサーのお母さんに、「なんでもないわよ。明日になればもう忘れるわよ。お互いさまだもの。」と言って簡単に終わらせる事もできた。
でも、私は、「私は、けんかや口論をしないで、帰ってきたZの行動は正しいと思う。私はそれを高く評価してあげたいと思っている。今、スペンサーが来て、あやまろうとしているのは、お母さんに言われてきているのか、自分から思ってきているのか分からないから、Zと話してもらいたくない。本当にスペンサーが心から悪かったと思わない限り、もう、Zの所には来ないで欲しい。」と言ったのだった。
普通の私だったら、こんな事は言えない。でも、子供の事を考えたら、こういった言葉が出てしまったのだった。
と、子育てセミナーでは、このような私の体験してきた事をお話させていただいた。
話しながら、なんだか、ものすごく話しにくいなと思ってしまう自分を感じていた。
何がおかしいのだろうと思って、話していた。
私にとって、話しにくかった理由は、日本人の方は、お話を聞いている時、全く反応を示さないという事なのであった。来てくださっている方の顔を見ながら話していたのだが、うなずいたり、首を振ったりという反応をしている人はたった一人であった。その方は、日本から、生まれたばかりのお孫さんを訪ねにいらしていた方であった。反応がないから、私一人で話したいことをただ話しているだけという感じがしてしまっていた。通じているのかしら?と思いながら、、、、。
なんだか、日本人教会へ行って、自分がもう日本人らしさをもなくしてしまったのだなと思わされてしまった。お行儀よく話を聞いてくださる方々を、おかしいと感じてしまうくらいなのだから、、、、。
アメリカナイズというよりは、日本文化の嫌だった部分を切り捨てている自分に気が付いてしまった私であった。
これまでも、この教会には何度か呼んでいただいて、子育てに付いて、またホームスクーリングについてお話して来た。
今回は、子育てについてでも、一般的なことよりも、アメリカで日本人が子育てをしていく上で気をつけなければいけないことをお話した。それから、私の心の中にいつもある葛藤について。
日本的な子育てでは、躾けは学校へ上がった時に、学校の先生から教えてもらうという事が多いような気がする。例えば、料理、お裁縫などはお母さんから教わるのではなくて、家庭科の時間に習う。お掃除の仕方も、学校のお掃除当番の時に、学んでいく。というな感じである。
5歳くらいまで、全くしつけをされなくても、学校へ上がれば、ある程度、きちんとした子供が出来上がる。
アメリカの学校教育は、そういったことを学校で教えてくれない。だから、小さい時の家庭でのしつけができない子は、いつまでたっても躾けのない子として育ってしまう。社会の迷惑となってしまうのである。だから、アメリカに住んでいる限り、家庭でのしつけを徹底的にしていかないと、恐ろしい子供が育ってしまう。
もう一つ、私の心にある葛藤について。
子育てをしていて、私の心にいつもある葛藤は、日本人としての私と、子供を良い人間に育てたいと思い、霊的な面を重視している私なのである。この二つがいつも、私の心の中で戦っているような気がする。
先日、下の子Zは、友人のスペンサーとしっくり行かない事があった。
5人の子で、空気銃で遊んでいたのだが、Zが勝ちすぎてしまい、スペンサーがやきもちを焼いて、残りの3人をそそのかして、4人でZに向かってきたのであった。そこで口論をするのではなく、Zはその場を去って、家へ帰ってくるという行動を取った。帰ってきてから、スペンサーに裏切られた事が悲しくて、激しく泣いていた。
しばらくしてから、スペンサーのお母さんがスペンサーを連れて、我が家へやってきた。
Zに会って、話をしたいということだった。
この時に、いつもの葛藤が起きたのだった。
日本人的な私の部分は、波風を立てずに、私あるいはうちの子が我慢して、すべてを平穏に解決しようと思っていた。
子供の成長を考えての私は、Zのとった行動を評価し、スペンサーのお母さんに真実を告げるというものであった。
この二つが心の中で戦っていたのである。
スペンサーのお母さんに、「なんでもないわよ。明日になればもう忘れるわよ。お互いさまだもの。」と言って簡単に終わらせる事もできた。
でも、私は、「私は、けんかや口論をしないで、帰ってきたZの行動は正しいと思う。私はそれを高く評価してあげたいと思っている。今、スペンサーが来て、あやまろうとしているのは、お母さんに言われてきているのか、自分から思ってきているのか分からないから、Zと話してもらいたくない。本当にスペンサーが心から悪かったと思わない限り、もう、Zの所には来ないで欲しい。」と言ったのだった。
普通の私だったら、こんな事は言えない。でも、子供の事を考えたら、こういった言葉が出てしまったのだった。
と、子育てセミナーでは、このような私の体験してきた事をお話させていただいた。
話しながら、なんだか、ものすごく話しにくいなと思ってしまう自分を感じていた。
何がおかしいのだろうと思って、話していた。
私にとって、話しにくかった理由は、日本人の方は、お話を聞いている時、全く反応を示さないという事なのであった。来てくださっている方の顔を見ながら話していたのだが、うなずいたり、首を振ったりという反応をしている人はたった一人であった。その方は、日本から、生まれたばかりのお孫さんを訪ねにいらしていた方であった。反応がないから、私一人で話したいことをただ話しているだけという感じがしてしまっていた。通じているのかしら?と思いながら、、、、。
なんだか、日本人教会へ行って、自分がもう日本人らしさをもなくしてしまったのだなと思わされてしまった。お行儀よく話を聞いてくださる方々を、おかしいと感じてしまうくらいなのだから、、、、。
アメリカナイズというよりは、日本文化の嫌だった部分を切り捨てている自分に気が付いてしまった私であった。
早朝の訪問者
土曜日の夜、友人の家から遅く帰ってきたKと私。
「明日は8時半に起きても間に合うからね。」と言って寝たのであった。
ところが、日曜日の早朝。といっても7時ちょっと前。
ドンドンドン!と我が家の玄関のドアを叩く音で目を覚ましてしまった。
私の最初の反応は、「夫がいないのに、変な人が玄関に来ていたらどうしよう!」であった。
ドア越しに外をのぞいてみると、女の人が立っている。ドアを開けると、
「気球がここに着地したのですが、ここで気球をたたんでもいいでしょうか?」
気球?
そうなのだった。土、日と、隣町のタイガードでバルーンフェスティバル(気球の大会)があったのだった。ここに住んで10年。子供達が小さい時は、この気球を追って車を運転し、着陸を見学に行ったものであった。
今回、子供達が大きくなったこの時期に、気球が我が家に着陸してくれた。(ちょっと遅すぎた?)
あわてて着替えて外に出て行くと、真っ青な気球が、我が家の庭にちょこんと座っていた。
気球をたたむ前に、気球と一緒に写真を取ってあげるといわれ、急いでKを起こしにいく。彼女は起こさなければ、いつまでも寝ているティーンなのである。
寝ぼけ眼でも、やはり気球をこんなに近くで見られるということは嬉しいらしい。
空には、まだまだ10機以上が浮かんでいる。
庭に着陸した気球がたたまれてしまうと、Kは「他の気球を追って、着陸を見に行こうよ」と言ってきた。
そういうわけで、教会が始まる前、日曜日の朝、私たちは気球を追って、近所を徘徊してしまったのであった。なんか、すこぶる健康的な母娘である。
「明日は8時半に起きても間に合うからね。」と言って寝たのであった。
ところが、日曜日の早朝。といっても7時ちょっと前。
ドンドンドン!と我が家の玄関のドアを叩く音で目を覚ましてしまった。
私の最初の反応は、「夫がいないのに、変な人が玄関に来ていたらどうしよう!」であった。
ドア越しに外をのぞいてみると、女の人が立っている。ドアを開けると、
「気球がここに着地したのですが、ここで気球をたたんでもいいでしょうか?」
気球?
そうなのだった。土、日と、隣町のタイガードでバルーンフェスティバル(気球の大会)があったのだった。ここに住んで10年。子供達が小さい時は、この気球を追って車を運転し、着陸を見学に行ったものであった。
今回、子供達が大きくなったこの時期に、気球が我が家に着陸してくれた。(ちょっと遅すぎた?)
あわてて着替えて外に出て行くと、真っ青な気球が、我が家の庭にちょこんと座っていた。
気球をたたむ前に、気球と一緒に写真を取ってあげるといわれ、急いでKを起こしにいく。彼女は起こさなければ、いつまでも寝ているティーンなのである。
寝ぼけ眼でも、やはり気球をこんなに近くで見られるということは嬉しいらしい。
空には、まだまだ10機以上が浮かんでいる。
庭に着陸した気球がたたまれてしまうと、Kは「他の気球を追って、着陸を見に行こうよ」と言ってきた。
そういうわけで、教会が始まる前、日曜日の朝、私たちは気球を追って、近所を徘徊してしまったのであった。なんか、すこぶる健康的な母娘である。
アメリカの親戚との難しい関係
夫の妹のご主人が、昨夜、すい臓癌で亡くなった。
去年の11月末に発病して、約5ヶ月の闘病生活であった。
娘が4人いるが、上の二人はすでに結婚している。下の二人は未婚だが、1人は大学を卒業して、すでにワシントンDCで、政治関係の仕事をしている。もう1人は大学の2年生である。
夫は、去年の7月末に母を亡くした。
義母が亡くなったとき、私たちは、Kのジュニアオリンピックの全国大会の後で、カリフォルニアを旅行していた。連絡をもらったときには、もうすでに東海岸に飛ぶのも遅くて、お葬式に行かなかった。
私たちは、離れて暮しているから、親戚からこの事に関してヒンシュクをかっていた事を知らなかった。実の親が亡くなったのに、お葬式にも来ないで、、、という感じだったのであろう。
私達としては、イエス様を信じている人のお葬式は、残された人々への励ましのためにあるものと理解しているので、一人$1000もかけて行くこともないという、超現実的な考えからであった。
が、やはり、一般の人は、夫を冷たい人間と思ってしまったようだった。
妹の夫がなくなり、今回、夫は10日ほど、東海岸へ帰ろうと思っている。
ところが、親戚から、様々な反応を頂いているのである。
「血の繋がっている母親のお葬式に来ないで、何の繋がりもない義弟のお葬式に来るなんて、おかしい」というようなものが主なものである。
夫としては、昨年母を、そして9ヵ月後に夫を亡くした妹のために、しばらくそばにいて励ましてあげたいと思っているだけなのである。
しかしながら、親戚の方々は、そんな風には考えてくれないようである。
お姉さんが、わざわざ私の携帯に電話をくれて、「こういう風に言っている人が多いから、もし、来るのなら、よおーく祈って、主から示されてから出ないと、大変な事になるわよ。」と言ってきた。
ただ、妹を励ましたいという気持ちからの行動なのに、親戚を総動員して、大きな騒動を起こしてしまっている夫なのである。
おまけに、ガソリン代が値上がりしたので、東海岸へ行くのに、すでに1週間をきっていることもあるが、$600もかかってしまう。日本へ帰れてしまえる金額ですよ!
何とか、大騒ぎにならないようにと思っているが、親戚というのは、本当に難しい生き物である。
去年の11月末に発病して、約5ヶ月の闘病生活であった。
娘が4人いるが、上の二人はすでに結婚している。下の二人は未婚だが、1人は大学を卒業して、すでにワシントンDCで、政治関係の仕事をしている。もう1人は大学の2年生である。
夫は、去年の7月末に母を亡くした。
義母が亡くなったとき、私たちは、Kのジュニアオリンピックの全国大会の後で、カリフォルニアを旅行していた。連絡をもらったときには、もうすでに東海岸に飛ぶのも遅くて、お葬式に行かなかった。
私たちは、離れて暮しているから、親戚からこの事に関してヒンシュクをかっていた事を知らなかった。実の親が亡くなったのに、お葬式にも来ないで、、、という感じだったのであろう。
私達としては、イエス様を信じている人のお葬式は、残された人々への励ましのためにあるものと理解しているので、一人$1000もかけて行くこともないという、超現実的な考えからであった。
が、やはり、一般の人は、夫を冷たい人間と思ってしまったようだった。
妹の夫がなくなり、今回、夫は10日ほど、東海岸へ帰ろうと思っている。
ところが、親戚から、様々な反応を頂いているのである。
「血の繋がっている母親のお葬式に来ないで、何の繋がりもない義弟のお葬式に来るなんて、おかしい」というようなものが主なものである。
夫としては、昨年母を、そして9ヵ月後に夫を亡くした妹のために、しばらくそばにいて励ましてあげたいと思っているだけなのである。
しかしながら、親戚の方々は、そんな風には考えてくれないようである。
お姉さんが、わざわざ私の携帯に電話をくれて、「こういう風に言っている人が多いから、もし、来るのなら、よおーく祈って、主から示されてから出ないと、大変な事になるわよ。」と言ってきた。
ただ、妹を励ましたいという気持ちからの行動なのに、親戚を総動員して、大きな騒動を起こしてしまっている夫なのである。
おまけに、ガソリン代が値上がりしたので、東海岸へ行くのに、すでに1週間をきっていることもあるが、$600もかかってしまう。日本へ帰れてしまえる金額ですよ!
何とか、大騒ぎにならないようにと思っているが、親戚というのは、本当に難しい生き物である。
私も外国人?
今回は、私のバカを丸出しにしてしまったお話。
Costcoへ買い物へ行き、その後でフードコートでそれぞれ好きなものを食べてお昼にする事にした。夫はチキンサラダ、Kはコンボピッザ、Zはホットドック、私はポーリッシュドックである。とても安いし、簡単にお昼を済ませることができるので、我が家はここでよく食事を取ってしまう。
今日、このフードコートで並んで注文をしようとしていたら、白人の女性が、私達を完全に無視して、並んだ列を全く考えないで注文を始めた。私達の前に横割りをしてきたわけだ。
我が家の中で、こういう状況になったときに一番腹を立てるのは一体誰か?
私なのである。
「ヘイ、あの人、私たちのこと無視して、先に注文始めたじゃない。私達の方が先に並んでいたのよ。」と、相手に聞こえそうな声で言い始めてしまった私。
「マミー、別にいいじゃない。きっとあの人お腹が空いていたのよ。」とK。
「そういう問題じゃなくて、きちんと決まりというかルールというか、そういったものを守って欲しいのよね。そういうのを無視する人って許せないのよ。」と、またまた大きな声で話してしまった私。
KとZは恥ずかしそうにしてしまっていた。
注文を終えて、お金を払って食べ物を受け取り、ケチャップ、マスタードなどの置いてあるテーブルへ行った。
私は自分のポーリッシュドックを持って、刻みたまねぎをのせようとその前に立った。
ところが、私達の列に横割りをした女の人が、また私のたまねぎの前にすっと立って横割りをしてしまったのである。1回ならまだしも、2回も横割りである。
「すみません!」と大きな声を出した私。
「あら、失礼。」とブリティッシュアクセントの彼女。
残りの家族の座っているテーブルに座るなり、こういってしまった私。
「I can't believe that foreign woman. She cut me again at the onion station. She spoke British English so she must be a foreigner! (あの外人の女の人、信じられない。たまねぎのところで、また横わりしてきたのよ。ブリティッシュイングリッシュで話していたから、彼女は外人よ。)」
それを聞いて、残りの3人は大笑い。
「That foreign woman?. That's you! You are the foreigner, Mom. (あの外人だって? それは、ママじゃない。マミーが外人なんだよ。」
そうでございます。私は自分が外国人であることをすっかり忘れておりました。
私にとって外国人とは、その国のルールを守らない人。きっとそうなのだろうと思ってしまった。
Costcoへ買い物へ行き、その後でフードコートでそれぞれ好きなものを食べてお昼にする事にした。夫はチキンサラダ、Kはコンボピッザ、Zはホットドック、私はポーリッシュドックである。とても安いし、簡単にお昼を済ませることができるので、我が家はここでよく食事を取ってしまう。
今日、このフードコートで並んで注文をしようとしていたら、白人の女性が、私達を完全に無視して、並んだ列を全く考えないで注文を始めた。私達の前に横割りをしてきたわけだ。
我が家の中で、こういう状況になったときに一番腹を立てるのは一体誰か?
私なのである。
「ヘイ、あの人、私たちのこと無視して、先に注文始めたじゃない。私達の方が先に並んでいたのよ。」と、相手に聞こえそうな声で言い始めてしまった私。
「マミー、別にいいじゃない。きっとあの人お腹が空いていたのよ。」とK。
「そういう問題じゃなくて、きちんと決まりというかルールというか、そういったものを守って欲しいのよね。そういうのを無視する人って許せないのよ。」と、またまた大きな声で話してしまった私。
KとZは恥ずかしそうにしてしまっていた。
注文を終えて、お金を払って食べ物を受け取り、ケチャップ、マスタードなどの置いてあるテーブルへ行った。
私は自分のポーリッシュドックを持って、刻みたまねぎをのせようとその前に立った。
ところが、私達の列に横割りをした女の人が、また私のたまねぎの前にすっと立って横割りをしてしまったのである。1回ならまだしも、2回も横割りである。
「すみません!」と大きな声を出した私。
「あら、失礼。」とブリティッシュアクセントの彼女。
残りの家族の座っているテーブルに座るなり、こういってしまった私。
「I can't believe that foreign woman. She cut me again at the onion station. She spoke British English so she must be a foreigner! (あの外人の女の人、信じられない。たまねぎのところで、また横わりしてきたのよ。ブリティッシュイングリッシュで話していたから、彼女は外人よ。)」
それを聞いて、残りの3人は大笑い。
「That foreign woman?. That's you! You are the foreigner, Mom. (あの外人だって? それは、ママじゃない。マミーが外人なんだよ。」
そうでございます。私は自分が外国人であることをすっかり忘れておりました。
私にとって外国人とは、その国のルールを守らない人。きっとそうなのだろうと思ってしまった。
贈り物
先週、下の子Zの誕生会を開いた。
サッカーのチームメートを招いて、大きな滑り台と波のあるプールでのパーティーであった。
プールで遊んだ後、近くのピザ屋さんへ場所を変えて、ピザを食べてケーキを食べて、プレゼントを開くことになった。
この年代、プレゼントを選ぶのは、結構難しい。12歳である。昔のように、レゴとか飛行機とかミニカーでは済まないのである。
というわけで、プレゼントのほとんどはギフト券。iPhodの音楽のダウンロードのギフト券もあった。Zはこれがとても嬉しかったよう。まあ、他のプレゼントも、自分の好きなものが買えるということで、ギフト券は、ますます続くのであろう。
誕生日のプレゼントのギフト券は、まあ受け入れられる。
が、ちょっと?と、おおきな疑問を持ってしまう習慣がアメリカにはある。
80代のお年寄りに聞いてみたら、この習慣は、ハッキリ言って礼儀にかなっていないそうであるので、私の感覚には問題はないのだろうと思わされた。
さて、疑問を持ってしまう習慣とは、、、、。
Gift Registryというものなのである。
サッカーのチームメートを招いて、大きな滑り台と波のあるプールでのパーティーであった。
プールで遊んだ後、近くのピザ屋さんへ場所を変えて、ピザを食べてケーキを食べて、プレゼントを開くことになった。
この年代、プレゼントを選ぶのは、結構難しい。12歳である。昔のように、レゴとか飛行機とかミニカーでは済まないのである。
というわけで、プレゼントのほとんどはギフト券。iPhodの音楽のダウンロードのギフト券もあった。Zはこれがとても嬉しかったよう。まあ、他のプレゼントも、自分の好きなものが買えるということで、ギフト券は、ますます続くのであろう。
誕生日のプレゼントのギフト券は、まあ受け入れられる。
が、ちょっと?と、おおきな疑問を持ってしまう習慣がアメリカにはある。
80代のお年寄りに聞いてみたら、この習慣は、ハッキリ言って礼儀にかなっていないそうであるので、私の感覚には問題はないのだろうと思わされた。
さて、疑問を持ってしまう習慣とは、、、、。
Gift Registryというものなのである。
移民局での悲しい出来事
今週の火曜日に、グリーンカードの更新のために移民局へ行って来た。
更新の申請、支払いもすべてオンライン。ホームページを読んだ限りでは、グリーンカードの申請、更新が難しくなっていると感じさせられた。また、更新に時間がかかるから、早めに申請をすることとアドバイスがあった。
私のグリーンカードは、2月17日で切れる。ということで、1月15日にオンラインで申請をした。
夫には、「どうしてもっと早く申請しなかったのか」と叱られてしまったが、ついつい延ばしてしまっていたのだった。
「いつグリーンカードが届くか分からないよ。」と夫。
本当にそうだろうと思っていた。
ところが、グリーンカード更新のための指紋を取るフィンガープリントと写真撮影の指定の日が送られてきた。なんと申請してから2週間後の1月29日。
ということで、今週の火曜日、移民局へ行ったわけである。
更新の申請、支払いもすべてオンライン。ホームページを読んだ限りでは、グリーンカードの申請、更新が難しくなっていると感じさせられた。また、更新に時間がかかるから、早めに申請をすることとアドバイスがあった。
私のグリーンカードは、2月17日で切れる。ということで、1月15日にオンラインで申請をした。
夫には、「どうしてもっと早く申請しなかったのか」と叱られてしまったが、ついつい延ばしてしまっていたのだった。
「いつグリーンカードが届くか分からないよ。」と夫。
本当にそうだろうと思っていた。
ところが、グリーンカード更新のための指紋を取るフィンガープリントと写真撮影の指定の日が送られてきた。なんと申請してから2週間後の1月29日。
ということで、今週の火曜日、移民局へ行ったわけである。
風邪気味のクリスマス
クリスマスイブの今日、夫は調子が悪い。先週、まずZが咽の痛みを訴え、咳を始めた。その後、私が咳を始め、夫とKからものすごいヒンシュクをかっていた。でも、咳を止めることはできず、結構ゴホゴホやっていた。
そして、ついに昨日の午後から夫にいってしまったよう。彼は咳はしていないけれども、体がだるいようだ。
今週は、教会の予定も全くなく、家族でゆっくりできる週なのである。Kの陸上の練習は、クリスマスの次の日にあるが、それ以外は(毎日1人で走ってはいるが、グループでの練習は水曜日だけ)Zのサッカーさえもない。
これまで、ものすごく忙しくて、絶対に倒れられないという状況であった。だから、今週は風邪を引いても支障が出ない週なのである。そういうわけで、みんなが体調の不調を訴えているのかもしれない。
ということで、今日はビデオデーとなってしまっている。
そして、ついに昨日の午後から夫にいってしまったよう。彼は咳はしていないけれども、体がだるいようだ。
今週は、教会の予定も全くなく、家族でゆっくりできる週なのである。Kの陸上の練習は、クリスマスの次の日にあるが、それ以外は(毎日1人で走ってはいるが、グループでの練習は水曜日だけ)Zのサッカーさえもない。
これまで、ものすごく忙しくて、絶対に倒れられないという状況であった。だから、今週は風邪を引いても支障が出ない週なのである。そういうわけで、みんなが体調の不調を訴えているのかもしれない。
ということで、今日はビデオデーとなってしまっている。
ロシア風シャワーと水太り
例えば、真夏の日本での、給水制限という事態を想像して欲しい。
皆さんなら、どんな準備をするのだろうか?お風呂に水を貯めて、トイレを流したり、洗濯、食器洗いのためにそなえるのではないだろうか。
我が家は、今年の夏、厳密に言えば8月末から現在まで、給水制限状態。井戸の水がかれつつあるのだ。
まず、水圧がほとんどない。ちょろちょろと出てくる感じ。食器洗いは、まあそれで何とかなる。一番困っているのが、実は、シャワーなのである。
私たちは、お風呂のスタイルは全くアメリカンなので、湯船にお湯をためてお風呂に入るということはしない。シャワーですべてを済ませている。
水が少ないということで、私と夫は、「ロシア風シャワー」を子供達に勧めた。
名前だけ聞くと、ちょっとすてきに聞こえる。私達が中国で中国語を学んでいた時、大学の留学寮に住んでいた。その寮には、日本人、アメリカ人、北朝鮮人、ロシア人、フランス人の留学生が住んでいた。電話は、階段に近い廊下にしかなくて、必ず誰かが部屋から出て、電話の応対をしなければなかった。
よく電話で話をしていた私は、廊下で聞こえる、他の人の生活音を耳にしていた。この時に、ロシア風シャワーを発見したのであった。
その当時、(1988年、89年)ロシア人で国外へ出られる人というのは、選ばれた人だった。私のクラスメートにそのロシア人がいた。彼は、60代の大学教授だったのだ。
ある日、私がまた、電話で中国人のおばあちゃんと話していた所、(日本で知り合った中国人のおばあちゃんで、私のおばあちゃん的存在となってくれて、いつも、ご飯をちゃんと食べているかと電話をよこしてくれていた。実際、私は、最初の1ヶ月、中国で何も食べることができなかった。)このロシア人の教授が、シャワーを浴び始めた。
普通、私達がシャワーを浴びると、水・お湯を流しっぱなしでいると思う。が、この教授は、お湯を出したり止めたりの繰り返しをしているのだった。
次の日の授業の時、休み時間に、このことを教授に聞いてみた。
彼いわく、「水は大切に使わなければいけないから、シャンプーしている時は、水を止めるべきなんだよ。」と説明してくれたのだった。
皆さんなら、どんな準備をするのだろうか?お風呂に水を貯めて、トイレを流したり、洗濯、食器洗いのためにそなえるのではないだろうか。
我が家は、今年の夏、厳密に言えば8月末から現在まで、給水制限状態。井戸の水がかれつつあるのだ。
まず、水圧がほとんどない。ちょろちょろと出てくる感じ。食器洗いは、まあそれで何とかなる。一番困っているのが、実は、シャワーなのである。
私たちは、お風呂のスタイルは全くアメリカンなので、湯船にお湯をためてお風呂に入るということはしない。シャワーですべてを済ませている。
水が少ないということで、私と夫は、「ロシア風シャワー」を子供達に勧めた。
名前だけ聞くと、ちょっとすてきに聞こえる。私達が中国で中国語を学んでいた時、大学の留学寮に住んでいた。その寮には、日本人、アメリカ人、北朝鮮人、ロシア人、フランス人の留学生が住んでいた。電話は、階段に近い廊下にしかなくて、必ず誰かが部屋から出て、電話の応対をしなければなかった。
よく電話で話をしていた私は、廊下で聞こえる、他の人の生活音を耳にしていた。この時に、ロシア風シャワーを発見したのであった。
その当時、(1988年、89年)ロシア人で国外へ出られる人というのは、選ばれた人だった。私のクラスメートにそのロシア人がいた。彼は、60代の大学教授だったのだ。
ある日、私がまた、電話で中国人のおばあちゃんと話していた所、(日本で知り合った中国人のおばあちゃんで、私のおばあちゃん的存在となってくれて、いつも、ご飯をちゃんと食べているかと電話をよこしてくれていた。実際、私は、最初の1ヶ月、中国で何も食べることができなかった。)このロシア人の教授が、シャワーを浴び始めた。
普通、私達がシャワーを浴びると、水・お湯を流しっぱなしでいると思う。が、この教授は、お湯を出したり止めたりの繰り返しをしているのだった。
次の日の授業の時、休み時間に、このことを教授に聞いてみた。
彼いわく、「水は大切に使わなければいけないから、シャンプーしている時は、水を止めるべきなんだよ。」と説明してくれたのだった。
クリスマスストッキング
Kの誕生日が終わり、我が家はやっとクリスマスの飾りをすることができた。毎年恒例なのだが、Kの誕生日である12月11日が過ぎるまでは、クリスマスではなくて、Kの誕生日を祝ってあげようという私達のささやかな思いから、クリスマスの飾りは一切しないことにしている。
というわけで、先週の週末にやっとクリスマスツリー、その他の飾りを出すことができた。今年は、Kがほとんど1人で飾り付けをしてくれた。教会に、1人ものすごく芸術的な人がいて、Kはその方の同居しているお孫さんのベビーシッターを定期的にしているので、彼女の家でいろいろと学んできたようである。見事に我が家のリビングルームをクリスマスに仕上げてくれた。
毎年クリスマスになると、主、イエス様の降誕、そしてそれまでに交際をしてきた方々を思い出す。
特に、クリスマスツリーに飾るオーナメントから、様々な友人、知人を思い出す。飾りながら、一人一人を思い出して、祈りながらの作業となる。それが私は結構好きなのである。
オーナメントの中には、Kが1歳の時住んでいた、中国のアパートのフロントに置かれていたクリスマスツリーから頂いたものもある。Kが生まれた日に、夫が北京の街の中で買った飾りもある。KがZの最初のクリスマスのために作った飾りもある。知り合いが、エルサレムへいった時にお土産に買ってきてくれた飾りもある。中国人の友人が書いた、漢字の一文字の飾りもある。
書き出してみると、統一性のないクリスマスツリーである。でも、私達にとっては、思い出がたくさん詰まったツリーなのである。
もう一つ、毎年思い出しながら、神様のすばらしい御手を感じさせられるものがある。
というわけで、先週の週末にやっとクリスマスツリー、その他の飾りを出すことができた。今年は、Kがほとんど1人で飾り付けをしてくれた。教会に、1人ものすごく芸術的な人がいて、Kはその方の同居しているお孫さんのベビーシッターを定期的にしているので、彼女の家でいろいろと学んできたようである。見事に我が家のリビングルームをクリスマスに仕上げてくれた。
毎年クリスマスになると、主、イエス様の降誕、そしてそれまでに交際をしてきた方々を思い出す。
特に、クリスマスツリーに飾るオーナメントから、様々な友人、知人を思い出す。飾りながら、一人一人を思い出して、祈りながらの作業となる。それが私は結構好きなのである。
オーナメントの中には、Kが1歳の時住んでいた、中国のアパートのフロントに置かれていたクリスマスツリーから頂いたものもある。Kが生まれた日に、夫が北京の街の中で買った飾りもある。KがZの最初のクリスマスのために作った飾りもある。知り合いが、エルサレムへいった時にお土産に買ってきてくれた飾りもある。中国人の友人が書いた、漢字の一文字の飾りもある。
書き出してみると、統一性のないクリスマスツリーである。でも、私達にとっては、思い出がたくさん詰まったツリーなのである。
もう一つ、毎年思い出しながら、神様のすばらしい御手を感じさせられるものがある。


